年賀状の歴史は平安時代にまでさかのぼります。当時の貴族たちが新年の挨拶を文書で交換していたことが、現代の年賀状の原型とされています。特に注目すべきは、平安時代の貴族、藤原明衡が編纂した「雲州消息」という手紙の文例集に、年始の挨拶文が含まれていたことです。
その後、江戸時代に入ると、飛脚制度の発達により、庶民の間でも手紙のやり取りが一般的になりました。この時代に、年始の挨拶を手紙で行う習慣が広く普及したと考えられています。
明治時代に入り、1873年(明治6年)に郵便はがきが登場したことで、年賀状の文化が本格的に広まりました。1899年(明治32年)には「年賀郵便特別取扱」が開始され、年内に投函された年賀状を元日に一斉配達する現在のシステムの原型が確立されました。
年賀はがきの切手部分のデザインには、毎年さまざまな工夫が凝らされています。多くの場合、その年の干支や日本の伝統的なモチーフが使用されますが、よく見ると面白い仕掛けが隠されていることがあります。
例えば、2019年の年賀はがきでは、切手部分に描かれた門松の扇の中に、その年の干支であるイノシシが隠れていました。また、2018年の年賀はがきでは、消印部分のデザインにしめ飾りが使用され、その下部に小さく「あけましておめでとうございます」という文字が書かれていました。
さらに興味深いのは、12年サイクルで繋がるデザインの存在です。2004年と2016年の年賀はがきに描かれた猿のデザインは、12年の時を経て親子の関係になっているという粋な計らいがありました。
これらの細かいデザインの仕掛けは、年賀状をより楽しく、味わい深いものにしています。毎年のデザインを注意深く観察することで、新たな発見があるかもしれません。
お年玉付き年賀はがきは、日本の年賀状文化に欠かせない存在となっていますが、その誕生には興味深い背景があります。
1949年(昭和24年)、一般の方からの提案がきっかけとなり、お年玉付き年賀はがきが誕生しました。提案者は林正治さんという方で、戦後の混乱期に、離ればなれになった家族や知人の安否確認と、人々に希望を与えることを目的としていました。
林さんは自ら見本となるはがきや宣伝ポスターを制作し、郵政省(現在の日本郵便)に持ち込みました。当初は反対意見もありましたが、最終的にこのアイデアは採用され、日本の年賀状文化に大きな影響を与えることとなりました。
お年玉付き年賀はがきの登場により、年賀状を送る楽しみが増え、戦後の日本社会に明るい話題を提供しました。また、くじ付きという特徴は、年賀状の需要を大きく押し上げる要因となりました。
年賀状は日本独自の文化と思われがちですが、実は世界各国にも類似の習慣が存在します。
世界各国の年賀状事情を見ると、新年を祝う気持ちを伝える習慣は普遍的であることがわかります。ただし、送る時期や形式には違いがあり、それぞれの国の文化や歴史を反映しています。
日本の年賀状文化の特徴は、元日に一斉に配達されることと、お年玉付きはがきの存在です。これらは世界的に見ても独特な要素と言えるでしょう。
年賀状には通常の郵便物と異なり、消印が押されていないことをご存知でしょうか。これには興味深い理由があります。
年賀状に消印がない主な理由は、大量の年賀状を迅速に処理するためです。通常の郵便物では、切手に消印を押すことで再使用を防ぎますが、年賀状の場合は特別な対応がなされています。
実は、年賀はがきの切手部分に印刷されているイラストが、消印の役割を果たしているのです。このイラストは特殊インクで印刷されており、紫外線を当てると蛍光発色する仕組みになっています。これにより、郵便局での処理時に年賀状であることが機械的に識別でき、消印を押す手間を省くことができるのです。
さらに、このイラストには年号が含まれているため、その年専用の年賀はがきであることも確認できます。つまり、切手部分のイラストは、デザイン性と機能性を兼ね備えた巧妙な仕掛けなのです。
この仕組みにより、大量の年賀状を効率的に処理し、元日に一斉配達するという日本独特のシステムが可能になっています。
年賀状の雑学を知ることで、この日本の伝統的な習慣がより興味深いものに感じられるのではないでしょうか。これらの知識を活かして、今年の年賀状作りをさらに楽しんでみてはいかがでしょうか。
年賀状は宛名書きとか印刷が大変…
年賀状作りで大変なのが、宛名書き。
今はパソコンを使えば、完全手書きよりは楽ですが、自宅で印刷って、けっこうたいへんなんですよね…。
そういうの大変すぎて、年末が近づくとイヤになる…という人は、以下のような方法もあります。
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